献堂百周年を迎えて

2019-03-11 (月) 11:51

1918(大正7)年11月9日、日本福音ルーテル久留米教会礼拝堂の献堂式が行われました。今から100年前のことです。1901年に始まった教会の活動が実を結び、いよいよ念願の礼拝堂が建てられたのです。最初は民家を、後には武家屋敷を改築したものを仮の礼拝堂として用いていた人々にとって、赤煉瓦の荘厳な礼拝堂は、どれだけ感動的に映ったことでしょう。
 設計は、W・M・ヴォーリズ。大正から昭和にかけて活躍した西洋建築家・実業家で、近江兄弟社の創立者の一人としても知られています。その建築は今もなお多くの人々から愛されており、2014年には神戸女学院の校舎が重要文化財に認定されました。久留米教会の礼拝堂は、そんなヴォーリズ建築の中でも初期の作品の一つに数えられ、九州に現存する中では最古のものです。
 この礼拝堂の建築的な特徴は、赤煉瓦造りである、ということです。装飾として赤煉瓦を使う建物は今でも数多くありますが、久留米教会礼拝堂はそうではありません。鉄筋コンクリートなどで建物の枠組みを作って煉瓦で装飾するのではなく、赤煉瓦を積み上げて建物が造られているのです。こうした建築は、今日ほとんど残っていません。久留米教会礼拝堂が建てられた5年後、関東大震災が起き、その中で多くの煉瓦建築が倒壊します。これは実際には近代化の中で粗製濫造された煉瓦建築が多かった為でしたが、「煉瓦建築は危ない」という風潮がうまれ、これ以降煉瓦造りの建物は歴史から姿を消すこととなります。もし建築が数年ずれていたら、久留米教会の礼拝堂の姿は大きく変わっていたかもしれません。そして、そうなっていたら、もしかすると今日まで、建物は残されていなかったかもしれないのです。
 戦争末期、1945年8月11日、久留米は空襲を受けます。油脂焼夷弾による爆撃により木造の建物は次々と炎上、火災は大きく広がってゆきます。結果、市街地の約7割が被害を受けることとなりました。教会の礼拝堂にも、間近まで火の手が迫りますが、信徒達はこれを食い止めようと必死の消火活動を行いました。結果、火の手は隣の建物まで及びましたが、礼拝堂は煉瓦造りだったこともあり、延焼を免れます。当時の写真が残されていますが、礼拝堂の西側(文化街方面)は一面、瓦礫の山となっています。しかし近年、同様に戦火を免れた建物が相次いで取り壊されており、戦前から残る建物は僅かとなりました。そうした意味でも久留米教会の礼拝堂は貴重な建物となっています。
 しかし、教会にとって何より意義深いことは、100年間ここで礼拝が守られてきたということです。毎週日曜日の主日礼拝、また、併設する日善幼稚園の幼稚園礼拝、その他折々の機会に多くの人々がここに集い、聖書の御言葉を聞き、祈りを合わせてきました。バザーやコンサートなど、地域の方々に向けた様々な活動も行われてきました。この献堂100周年は、そのようにして神と民が共に歩んできた歴史のしるしとして与えられた出来事です。そして、その歴史は、未来に向かって続いています。これからも、この場を通して多くの人々に神様との出会いが与えられ、共に祈り、共に歩んでゆくことでしょう。

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